不純物われら

猥雑な街が好きだ。自分がここにいてもいいと思えるから。

何もけばけばしく下品な裏路地に限らず、行き当りばったりなのが透けて見えるような街がいい。

駐車場がばかみたいに広いコンビニも、看板を変えてもレールはそのままの回転寿司屋も、高さのちぐはぐな建築群も、誰も所有を意識していなさそうな半端な空き地も、包容力がある。

こういう街を作るぞ、と誰かが計画して、そのとおりにマンションや公園を作って、いかにもきれいで整頓された街は、わたしにとってはすこし居心地が悪い。わたしはミックスベジタブルが気持ち悪くて不得手なのだけれど、それに類する何かがある。

 

この世界には、いろいろなものがあり、いろいろなひとがいて、とても複雑だ。誰もが世界を複雑にする要素であり、そこから逃れることはできない。

もちろん世界が素敵な方向に向かうことを願っているけれど、世界の複雑さをどこまで引き受けられるのかは、ひとそれぞれだとも思う。自分の人生で手一杯なこともあるし、受け入れ難いものもある。何も考えたくないくらい、くたくたに疲れていることも。それでも世界は複雑なものとして眼前に足元にある。

それでもせめて、自分が好きなものや、その周りにある複雑さくらいは、なんとか引き受けていたいなと思う。それが学ぶということで、わたしにとっては愛するということでもある。愛している限り、引き受けていたい。

 

整いすぎたきれいな街にいると、自分が不審な不純物であるような気がする。街にきちんと溶け込まないといけないのではないか? そんなことを考えて、どうにも居心地が悪い。

だから猥雑な街が好きだ。古いものがあって、新しいものがあって、新しいものができる前にはそこにも古いものがあって、そういうことが見て取れる街が好き。人間の生っぽさが息づいている薄汚れた街が好き。

もちろん悪いことで、ないほうがいいけれど、自販機の隣に昨夜の酒盛りの痕跡が積まれているような街が好きなのだ。ゴミをそのへんに捨てたり歩き煙草をしたりするのは当然よくないしどう考えてもやめたほうがいい。けれどそういう街のほうが、わたしには息がしやすい。歩き煙草はやめろ。

たぶんわたしには、わたしのために靴を脱ぐ場所を空けてある街よりも、みんなそのへんで寝っ転がる街のほうが心地よいのだろう。

そしてこの世界には、きれいに整えられた街が好きな人もいるのだ。

 

(猥雑な街と世界の複雑さを並べて語ったのは、わたしがそういう人間だからというだけで、決してそこに相関を見いだすわけではない。当然、きれいな街を好きなことと何かがアナロジーの関係にあるわけでもない。但し書き)

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