サブカルチャーがあまりに趣味として強いので普段そんなに意識しないが、バー通いはわたしの趣味のひとつだろう。適当なカクテルやウイスキーを飲み、ほかに誰もいなければマスターと、誰かいればそのひとと他愛のないおしゃべりをする。
店ごとに雰囲気は様々だが、今わたしの通っているバーには、若者がひとりで訪れることはなかなかない。彼らは大抵カップルやグループでボックス席に座る。常連といえばもっぱらおじさんで、どんどんおじさんとなかよくなっていく。もしおじさんが好きでなかったら、店選びの幅はぐっと狭まるだろうとも思う。
バーの近所には、一軒の町中華がある。マスターと店長がなかよしで、共通の常連も多い。ひとつの地域コミュニティだ。
先日お話をしたおじさんもその共通の常連のひとりだ。彼は町中華の店長を心から尊敬していると語ったが、その前置きとして「おれ思想は右寄りなんだけど」と言った。それがかなり印象に残っている。
彼にとって、ひとりの中国人を尊敬していると話すために、その前置きは必要なものだったのだろう。そう考えると、適切な言葉ではないが、ちょっと面白かった。「遠い政治と近くの人間は別だから」とも言っていて、お手本みたいな右翼のおじさんじゃねえかと楽しくなってしまった。
たぶん彼は、その町中華の店長以外の中国人とも機会があれば親しくなれるし、わたしが自分のルーツを語ったとしても一緒に酒を飲むだろう。それでも、それが歴史や国際関係への認識を変えるきっかけになるのは難しいだろうし、そうすべきとも強くは思わない。
ただ、たとえばもし彼がTwitterをやっていて、そのツイートやアカウントがパッと目に入ったら、わたしはたぶん、ウッ……と思うし、地元の話で盛り上がったりはしないだろう。SNSというのはそういう場所だ。やっぱり、アカウントを変えて、ツイートを選んで、ブロックをしないというスタイルになれたのは、生身のわたしと紐づいたインターネットをやっていく上で、たぶんいいことだったんだろう。
以前マスターとふたりきりになったとき、コロナ禍の話になったことがある。彼はインフルエンザに罹ったことがなく、本当は、新型コロナウイルスのワクチンも接種したくなかったそうだ。(幼少期を除けば)今までそういうものを身体に入れずに生きてきて、ここに来てそれをするのは負けたみたいで嫌だと。そういえば、そういう発言で炎上した芸能人もいた。
けれど彼は、最終的に「ワクチンを打つのはお客様の前に出るときにタイを締めるのと同じことだ」「それでお客様が安心してバーに来ることができるなら」と思い、接種したそうだ。その変化を、似た考えだった同業者にも話した。そうしてその友人たちもワクチン接種に至った。
それを聞いて、わたしはちょっと感動したし、そうだよな、と思った。考えを変えるのは大変なことで、ましてや誰かに押しつけられて変えるのは難しい。同じ渦中にいる友人が考えて、変わって、それが波及してゆくほうが、やわらかく、大きく、変わる。結果、この近辺の個人経営者の多くがワクチンの接種に至ったのは、その影響も大きいだろう。
おじさんとお酒を飲むと、SNSの難しさ、SNSで踏み込んだ思想の話をする難しさを感じる。たぶんわたしにアジは向かない。それよりは、彼らとバーでささやかな交流をして、それが深まる中で何か変わるものがあるかもしれない……というほうが、すくなくともわたしの性に合っている。
このコロナ禍のSNSでは、自然派や反ワクチンなど、なかなか難しい思想が跋扈していて、けれどそれをばかにするのは、たぶん何かから遠ざかっているんだろうと思う。
身の丈に合ったツイートをしていたい。いろんなことを、これから友人になる誰かのことを考えながら。
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