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双黒:ふたりの少年を殺して相棒について考える太宰と中原の話です


 

「うまくやっていけるかな。この横浜で」
「きっと大丈夫だよ。……ぼくら無敵の相棒だもの」
 真夜中の港湾にふたり、十六、七歳と思しき少年が立っていた。ふたりとも背は高くない。衣服の下には春先の夜の風によって冷えた肉体があり、それだけでなく、撃鉄を待つ銃身もまた冷たく存在していた。
 ふたりはギターケースを背負っていた。中身は言わずもがなであった。
 静かな夜だった。暗闇の中、水平線はどこまでも曖昧で、どこまでだって行けそうな気がしていた。
 ――ぼくら無敵の相棒だもの。

  * * *

 不穏な動きがあるとの連絡がポートマフィアに入ったのは、遡ること数日前。この横浜に暗殺屋が降り立ったとのことだった。彼らの目的は森鴎外。いったい幾ら積まれたら森の暗殺なんて仕事を請け負うのだろう。彼らが横浜の人間ではないことは明白だった。横浜の暗部に精通する者は、まずポートマフィア首領の暗殺依頼なんて請け負わない。そんなことは不可能だからだ。

 とある高層ホテルの一室、中也はその風呂場にいた。服は着たまま、張り詰めた表情で、息を殺して空の浴槽にしゃがみこむ。約束の時刻が近付くと、彼は低い姿勢を保ったまま廊下に出て、相棒を待った。

 某月某日。陽気は悪くないが冷たい風が吹き荒ぶ日だった。横浜の某ホテルの前に、一台の車が停まる。そこから降りてきたのは黒外套の男――太宰治だった。
 ふたりは揃いの鬘と服を身につけていた。
「二分後だ」
 建物の中に入った太宰は携帯電話を取り出し相棒にコールするとそれだけを言った。用済みとばかりに鬘と外套を取ってコンシェルジュに渡すと、コンシェルジュはにこやかにそれを受け取った。彼女は媚びるような目を太宰に向けて、たっぷりと息を絡めた声を出した。
「また会ってくれる?」
「明後日の夜でどう?」
「いいわ。とびきり素敵な夜にしてね。……またお越しくださいませ」
 彼女の最後の声は、接客用のはきはきしたものだった。
 太宰は彼女に手を振ると、そのままエレベーターに乗り込むことなく、裏口へ周りホテルを後にした。

 携帯電話を閉じ、胸衣囊に仕舞う。中也はホテルの部屋の扉に凭れて立っていた。そこは先程までいた部屋ではなく、その斜向かいだった。
 
 二分後、中也は部屋の中へと入る。ふたりだけの任務だ。時間を稼ぐ必要がある。中也は窓から見える位置にちらりと入り在室をアピールしたのち風呂場に消えた。
 ややあって、銃声がひとつ。

  * * *

「来た」
「うん」
「消えた。風呂かな」
「気長に待とう。もうすぐなんだから」
「できるかな」
「きっとできるよ。ぼくら無敵の相棒だもの」
「……また、君の歌を聴きたいんだ」
「そのときは、君のギターも聴かせてね。ぼくは君のギターじゃなきゃ歌わないんだから」
「あの人、ほんとうにぼくたちを舞台に上げてくれるかな」
「どうだろう。でも、金さえあればぼくらでそのチャンスを掴みにいける。変わらないさ」
「ぼくら、無敵の相棒だものね」

  * * *

「手っ取り早く始末するなら囮になるのがいちばんだ」
 中也の異能は弾丸をものともしない。彼は囮にうってつけの人材だった。
「ただ――」
 中也は次に太宰が言うであろうことが手に取るようにわかった。しかし先読みしたからといってそれを口に出すのは憚られた。だから視線をやって軽く睨むに留めたが、中也の視線を受け止めた太宰はやはり上機嫌そうな顔をした。中也はすべてわかっていたから、太宰が口を開く前から仏頂面を隠さなかった。
「中也、チビだからねえ」

 かくして、ホテルに入るまでの囮は太宰がすることになった。そのため、ホテルには、屋根が広く伸びており、車を降りればすぐに屋根の下に入れるところを選ぶ必要があった。

  * * *

 中也はよろめきながらも踏ん張った振りをして窓の向こうを見た。銃弾は額で止まっている。貫かれたら即死だったろう。しかしこの風だ。外しても不自然ではないはずだ。
 中也は次の弾を待っているのだ。どの建物に暗殺者が潜伏しているのかは太宰がアタリをつけているが、自分の目で確信が欲しかった。
 もう一発。今度こそ倒れた。もちろん中也は死んでなどいない。しかし今ので確信が持てた。身を翻して立ち上がると、割れた窓から空へ飛び出した。

「……早すぎる」
「そんな……ぼくら、ぼくら無敵の相棒なのに」
 ふたりの暗殺者は最早ホテルを見ていなかった。突然の来訪者に釘付けだった。ふたりはすぐに拳銃を太宰に向けたが、太宰は薄ら笑うだけだった。
 早すぎるのだ。来訪者――太宰は、彼らが二発の弾丸を撃った、すくなくともその次の瞬間にはそこにいたのだから。……予め、知っていなければできないことだ。そして、襲撃がわかっていたならば、彼らが撃った対象が本物の森鴎外であったはずもない。完全なる失敗だった。
「解せないことがひとつある」
 そういったのは太宰だった。
「なぜ、ギターケースがふたつあるのか。片方は開いていて中身は空、そこにあったのは明らかにそのライフルだ。セミオートマチックだから連続で撃つことが可能。そうなればライフルはふたつもいらない。装填時間を補うためならば今開いていないのはおかしい。……なぜ、ギターケースがふたつあるのか」
「おまえなんかに永遠にわかるものか!」
 激昂したのは狙撃手の少年だった。彼は耐えられくなったとでも言うように拳銃の引鉄を引いた。そこから放たれた弾丸は、太宰の頭蓋に命中するはずだった。
 はずだった。
 空薬莢と弾丸が床を転がる音が、撃鉄の残響のなかで響いた。
「君はいつも私が死ぬ邪魔をする」
 少年と太宰のあいだには、中原中也が立っていた。己にかかる重力を操作し屋根や壁を伝うことなど彼には造作もない。狙撃のために開いていた窓から入り込み、すんでのところで間に合ったのだ。
 中也は頭を振りながら黒髪の鬘を乱暴に取りうち捨てた。
「ここで手前が死んでたら俺の責任になるだろうが、死ぬなら他所で勝手に死んでろ!」
「まあ待ってよ。私は彼らの話を聞きたいんだ。さあ、どうしてギターケースはふたつあるの」
「あ? ギターケースなんだからギターが入ってるんじゃねえのかよ」
 ふたりの少年は、もう自分たちが助からないことをわかっていた。すくなくとも、今回の報酬を得ることはできないし、そうなったら依頼主から始末されかねない。この場を逃げ延びても未来がない。いや、そもそも逃げられない。目の前の、ほんのすこしばかり歳上と思しきふたりから、嫌という程それが伝わってくる。
「最期に、歌が聴きたい。きみの歌が聴きたいよ」
 それは半ばひとりごとのような呟きだった。観測手の少年はそう言って狙撃手の方を見た。
「ぼくは、きみのギターじゃなきゃ、歌わない」
「成程。ギターケースの中身は本当にギターだったわけだ。でもこの目で見るまでは断言できない。開けてよ」
 暗殺者は互いに目配せすると、そっとギターケースを開いた。やはりギターが入っていた。
「……もういいや。中也、銃貸して」
「駄目だ」
 中也はぴしゃりと言った。太宰は水を差された気分だった。銃は既に太宰の手の中にあった。中也はそれに気付き太宰の手を上から押さえた。
「そういうと思った」
「聴かせろよ、手前らの音楽」
 なんとなく、太宰と中也は互いの表情を見たくはなかった。裏切られたくなかったのだ。

 少年たちは、これが終わったら殺されるのかと尋ねることをしなかった。訊かずともわかっていた。
「リクエストはある?」
 殊勝にも狙撃手は尋ねた。
「手前が今いちばん歌いたい曲」
 中也のリクエストに狙撃手は泣きそうに笑った。狙撃手はもはやひとりのシンガーだった。

 それは聴いたことのない歌だった。彼らのオリジナルかもしれなかった。
 中也は真剣に聴いていた。太宰は窓の外を見ていた。
 中也は拍手をした。太宰は銃を構えた。
 中也は狙撃手を殺した。太宰は観測手を殺した。

「……中也、私たちは、何?」
 太宰は思考の切れ端をこぼすように言った。
 帰路、彼らの足音は揃わない。揃えないようにしているからだ。けれどどちらかが前に出ることはなく、並んで歩いている。
「は? 気持ち悪ィな、なんだそれ。……相棒なんじゃねえのか」
 太宰は何か腑に落ちないようだった。
「彼らは、自分たちを相棒だと言った」
「それがなんだ?」
「相棒でも、呆気なく死ぬことがある……」
 中也には太宰の苦悩らしきものがまったく理解できなかった。
 太宰は中也のことが嫌いだったが、中也とふたりでいるときの万能感に自覚的だった。太宰はそれを相棒であるゆえと解釈していたが、相棒は必ずしも強くはないとわかってしまった。
「相棒にもいろいろあるだろ。名乗るだけなら誰だってできる」
 中也は興味なさそうになんの拘りも持たない。太宰は中也ならそうだろうと思っていたのでなんとも思わなかった。
 太宰は黙りこくってしまった。ただ、この世界に本物の相棒は双黒だけでいいと思った。

 ――ぼくら無敵の相棒だもの……。

  * * *

 いつもの酒場に顔を出すと、坂口安吾が先客だった。視線を交わし隣に座る。太宰はマスターに、いつものを、とだけ告げた。安吾はじっと太宰の顔を見ていた。
「どうしたの。そんなに見つめて」
「……いえ、失恋でもしたような顔だと思ったので」

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